TORACO(タイガース女子)が語る横浜DeNA坪井コーチ

横浜DeNA坪井打撃コーチ:1,アマから阪神タイガースまでの軌跡

TORACO(タイガース女子)が語る横浜DeNA坪井智哉コーチ!

カルビー 野球カード 2000 069 坪井智哉 阪神タイガース

2015年より、横浜DeNAベイスターズ
1軍打撃コーチに就任した坪井智哉コーチ

子どもの頃からずっと横浜ファンだった私は
彼のことをあまりよく知らなかったので

このたび、TORACO(タイガース女子)の熱烈な坪井ファンの方に
坪井コーチのことについて語ってもらいました!

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野球を好きになるきっかけになったのが坪井さんとの出会い!

筆者が野球を好きになるきっかけになったのが
坪井コーチとの出会いでした。
とても思い入れが強く、大好きでたまらなかった選手でした!
そんな坪井智哉氏について話していきます!

アマチュア時代(墨田シニア-PL-青山学院大学-東芝)

お父様が中日ドラゴンズの選手だった坪井コーチ。
生まれは東京都で、墨田シニアに所属。
(墨田シニアは先日試合があったU-18の侍ジャパンの選手を輩出しました)
高校は名門・PL学園に進学しました。
(後に阪神タイガースのチームメイトとなる今岡誠選手は1学年後輩)

外野手のイメージが強い坪井コーチですが
シニア・PL学園時代はピッチャーだったんです!ちょっと意外ですよね!

高校卒業後は青山学院大学に進学しました。
2学年上にはミスターホークスこと小久保裕紀氏、また同学年ではオリックスで投手、現在は千葉ロッテマリーンズ所属の川越英隆コーチ、一学年後輩に千葉ロッテマリーンズの井口選手、元楽天で現在は同僚(横浜の2軍コーチ)となった高須洋介コーチがいました。
後に日本を代表するプロ野球選手になる人達に囲まれて、坪井コーチは野球に取り組んでいたんですね。

青山学院大は、全体の練習が少なく、個人の練習に重きを置くスタイルだったようで、坪井コーチは部員の中でも最後まで残って必死で練習していたとの事。プロ時代も大変練習熱心だったことで有名な坪井コーチでしたが、大学時代から練習の虫だったのでしょう。
ひたむきに野球に打ち込み汗を流す坪井コーチ、素敵過ぎます!!

小久保選手らを筆頭に青山学院大は力をつけ、春季リーグ優勝、その後青山学院大は大学野球日本一に!頂点に立ちました!

大学卒業後は、社会人野球の名門(またも名門!)東芝に就職します。
打順は1番で(阪神と同じですね)ポジションはセンター。
日本選手権大会(大阪で行われる大会です)では惜しくも準優勝でしたが、坪井コーチは首位打者賞、優秀選手賞を受賞しました。翌年の日本選手権も優勝にあと一歩及ばず準優勝でしたが、2年連続で優秀選手賞にノミネートされ、アジア野球選手権の日本代表に選ばれました。

 

ついにプロへ!:阪神タイガースドラフト4位

BBM 2001 プロ野球カード 586 [阪神] 坪井 智哉

その巧みなバッティングで才能を開花させた坪井コーチ。
ついにプロへの扉が開かれました。
ドラフト4位指名で阪神タイガースへの入団が決まりました。

ルーキーながらキャンプは1軍に呼ばれ、オープン戦での活躍によりスタメンを獲得。
しかし、当時は外野は後に同僚になる新庄選手や桧山選手、パウエル選手のほぼ固定メンバーで、坪井コーチは代打出場に留まっていました。
しかし、選手の怪我等でスタメン出場のチャンスが再び巡ってきました!

打順は1番で、ポジションは主にライトでした。
当時は、1番が坪井コーチで2番は現在の阪神タイガース監督・和田豊監督でした。
今考えるとなんて豪華な1・2番なんでしょう!興奮しますね!

あの頃の阪神タイガースはとても、とても弱かったけれど、暗黒時代の阪神の希望が坪井コーチだったんです。
広角に打ち分ける抜群のバットコントロール、しぶとくヒットを放つ姿、打席に立ったら「きっと坪井が打ってくれる」という頼もしさ。確実にヒットを量産していく坪井コーチは「安打製造機」と呼ばれ、タイガースのみならずプロ野球を盛り上げてくれました。「振り子打法」と呼ばれる独自の打ち方も大きな話題になりましたね!

坪井コーチの話は、次の記事へ続きます。
第二弾も引き続きご覧下さい!
横浜DeNA坪井打撃コーチ:2,日本ハムファイターズへ移籍!そして

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ABOUT ME
あっき(ベイファン)
横浜大洋→ベイ→横浜DeNAベイスターズが大好きな松坂世代!最近はCSに日本シリーズに泣きまくりです( ;∀;) あとは98年以来の優勝が観たい!色々な方と繋がりたいです。よろしくお願いします^^ 自己紹介はこちら