TORACO(タイガース女子)が語る横浜DeNA坪井コーチ

横浜DeNA坪井打撃コーチ:2,日本ハムファイターズへ移籍!そして

TORACO(タイガース女子)が語る横浜DeNA坪井智哉コーチ!

カルビー 野球カード 1999 阪神タイガース 坪井智哉

2015年より、横浜DeNAベイスターズ、1軍打撃コーチに就任した坪井智哉氏のエピソードの続編記事です。

これまでは、アマチュア時代から阪神時代にかけての坪井コーチについて話をしてきました。
横浜DeNA坪井打撃コーチ:1,アマから阪神タイガースまでの軌跡
この記事では、日本ハム移籍以降の坪井コーチの活躍等をお伝えします。

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トレードで新天地・日本ハムへの移籍!

BBM2003 タッチ・ザ・ゲーム 2003 ALL STARS No.AS22 坪井智哉

2002年シーズン終了後、野口寿浩選手(捕手)とのトレードにより、日本ハムファイターズに移籍が決まりました。
このトレード球団から本人には、トレードについて何も知らされておらず、坪井コーチはなんと、テレビの報道で自分の移籍を知ったそうです。びっくりですね!

2003年、ファイターズに移籍してからの坪井コーチはバッティングが復活し大活躍しました。
シーズン前半の成績は打率.335(!!)

その年は外野手部門3位でオールスターにも出場し、その後も絶好調!ガッツこと小笠原道大選手と激しい首位打者争いを繰り広げました。途中調子を落としたものの、打率は自己最高である.330を記録。

阪神入団1年目は.327で日本ハム1年目は.330.セ・パ両リーグで入団1年目で打率3割超という過去に例が無い、とんでもない記録を作ったのです!坪井コーチ、すご過ぎます!!

日本ハムは2004年から北海道に本拠地移転しましたが、移転後初ヒット・初得点という意外な記録もお持ちです。
北海道移転後は、プレー中の怪我による離脱で、規定打席を割ってしまいますが、それでも左ピッチャーに対する勝負強さは健在で、打率は3割をマークしました!

調度筆者はこの頃札幌市に住んでいた為、札幌ドームにはかなり行きました。
阪神時代の同僚、新庄選手も一緒だったので嬉しかったです。試合の勝ち負けはもうどうでもよくて、(いいのか笑)当時坪井コーチがつけていた背番号「7」を見る事ができたら、それだけで心の底から幸せでした。当時は、日本ハムの選手でアンダーソックスをあげている(オールドスタイル)の選手があまり多くなく、遠くからでもソックスをあげている坪井コーチが確認できました。北海道移籍後数年は外野の守備によくついていたので(ライト・レフト)外野席で大変興奮して観戦していました。

札幌ドームは、ホームが3塁側(レフト)だったので、坪井コーチがレフトの守備に入った試合は、心臓が爆発しそうになる程嬉しかったです。阪神の時はまだ学生で、遠征もできずテレビ観戦でしたが、「大好きな坪井選手が目の前にいるんだ、本物の坪井選手なんだ!」と心の中で、声なき声で叫んでいました。

2006年 戦力外通告、そして・・・

BBM2007 北海道日本ハムファイターズ EXCELLENT PLAYER金パラレル No.F098 坪井智哉

思い出すと、苦しくなるのですが、坪井コーチの事をしっかり伝える記事ですので、きちんと書こうと思います。

2006年は、野球ファンの方ならご存知だと思いますが、日本ハムは北海道移転後初のパ・リーグ優勝、プレーオフ進出、そして日本シリーズ優勝を果たしました。

筆者は、友人と共に日本シリーズの優勝を現地札幌ドームで観ていました。
坪井コーチがいない寂しさを隠して「きっと来シーズンは坪井選手を札幌ドームで観ることができるはず」と信じていました。喜びを爆発させる選手たちが、地元のテレビのどのチャンネルをかけても映っていて、夜通し日本一の特番が組まれ、ビールかけの様子が映されていました。

日本ハムが日本シリーズを制覇した翌日。

坪井コーチの戦力外通告がファイターズのホームページに載りました。

友人からのメールでその事を知った筆者。
HPにアクセスして、真実であることを目の当たりにしました。目の前が真っ暗になりました。

この年は、坪井コーチはほとんと試合に出ていませんでした。
オープン戦で怪我をして、坐骨神経痛を発症して春先は姿を見なかった。
復活したと思ったら、守備中にまた怪我をして登録抹消になってそれっきりだった。
でも「何故?!どうして戦力外通告なんて!!」と、ただ「なんで?!」「なんで?!」が頭の中で繰り返されるだけでした。

どうやら、坪井コーチの高額年俸がネックになり、トレードがまとまらなかったようです。

坪井コーチは、現役続行の為、トライアウトに臨みますが、獲得に至る球団は現れませんでした。

ところが、年末、事態が動きました。
なんと戦力外通告をした日本ハムが、大幅減俸での再契約をしたのです。
ファンである筆者は再び坪井コーチを応援できる、ファイターズに来てくれることを喜ぶべきだったのですが、ただ驚くばかりでした。
「一度解雇にしたのに、何故?」と。また、「なんで?!」「どうして?!」が頭の中で繰り返されました。

今でも、心の中に刻まれています。前代未聞の、異例の再契約。一度解雇にして再契約をするのは後に多田野投手でも繰り返されましたが、球団の方針なのか、未だに理解しかねる部分です。
(きっと球団なりに考えがあるのでしょう)

坪井コーチのエピソードは、第3弾に続きます。
宜しくお願いします!

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ABOUT ME
あっき(ベイファン)
横浜大洋→ベイ→横浜DeNAベイスターズが大好きな松坂世代!最近はCSに日本シリーズに泣きまくりです( ;∀;) あとは98年以来の優勝が観たい!色々な方と繋がりたいです。よろしくお願いします^^ 自己紹介はこちら