TORACO(タイガース女子)が語る横浜DeNA坪井コーチ

横浜DeNA坪井打撃コーチ:6,アメリカ独立リーグ挑戦!そして引退へ

TORACO(タイガース女子)が語る横浜DeNA坪井智哉コーチ!

ハドソン POWER LEAGUE 夢のスタジアム2000 スーパーレアカード No.S056 坪井智哉

2015年より就任!坪井智哉打撃コーチについて語る!!その6
2015年より、横浜DeNAベイスターズ、1軍打撃コーチに就任した
坪井智哉氏のエピソードの続編記事
今回は”アメリカ独立リーグ時代”のお話です

前回までの記事はこちら

1,アマから阪神タイガースまでの軌跡
2,日本ハムファイターズへ移籍!そして
3,戦力外から再契約!プロ初サヨナラ打
4,代打リーグ記録達成!そして2度目の戦力外
5,オリックスへ移籍!岡田監督と再開も

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プレー先を求め,アメリカ独立リーグへ!待っていたのは…

坪井コーチは、2012年~2014年
独立リーグのチームを4チーム渡り歩きました。
アメリカでの選手生活は「チープな生活だった」と坪井コーチは振り返って話していました。(ラジオ出演時)

照明設備が少なく、夜はフライが見えない。
グラウンドはボコボコで芝生は生え放題でボールが止まってしまう程。
球場はゴミが落ちていて、ロッカーは狭くて汚い。

野球をする環境は日本と比較して恵まれているものではありませんでした。
高校野球の方がよっぽど恵まれているそうです。
プロで十数年プレーした方が言うのですから、いかに独立リーグの環境が良くないものかが伺えます。

背番号はランダム!?

坪井コーチが所属したチームでは
ユニフォームのサイズが始めから決まっていて
L,LL,XLしか無く
その中から自分に合ったものを取って使っていくというスタイルだったとの事。

取ったユニフォームについている背番号が、自分の背番号になるんです。(ラジオ出演時、坪井コーチによる情報)
日本とは、真逆ですね・・・。
選手に合わせて作られるんじゃないんですね。
ラジオを拝聴していて驚きました。

ちなみに、この話は渡米後最初に所属した「サンラファエル・パシフィックス」時代のエピソードです。
この時の坪井選手の背番号は「1番」でした。
ラジオ番組でアナウンサーから「いい背番号に当たりましたね!」と振られると
「背番号なんかどうでもよかった」と切り返した坪井コーチ。

スタジオは爆笑 笑)

野球に対する姿勢もまるで違った・・・

設備や環境だけではなく
所属選手のレベルも違っていたそうです。

食生活のバランスの悪さ
坪井コーチ曰く「練習しなさ過ぎ」なチームメイト(しなさ過ぎって・・・笑)
野球に対する姿勢等、日本とかけ離れている事が沢山あったとの事です。

まず練習時は短パン。
暑いからだそうですが、日本では考えられませんね。

他にはチームメイトの接し方。
坪井コーチの他は、22,3歳の若い選手が多かったそうですが「ヘイ!トモ!」(坪井コーチの名前は智哉[ともちか]なので愛称がトモ)と
30代後半の坪井コーチの頭を叩くというのでこれまた驚きです・・・。

やはり、日本では考えられませんね。
気さくとか、フランクとかそういう次元の話ではありません。
上下関係、礼儀が崩壊しているというか、無いのでしょう。

ケガによる突然の解雇:その後も厳しい戦いが…

最初の球団・サンラファエル・パシフィックスは
プレー中の怪我で解雇されてしまいます。
米独立リーグでは、怪我≒解雇のそうです。

トライアウトを経て
2番目の球団レイルキャッツに入団が決まったのですが
チーム若返りの方針で突然リリースされることになってしまいます。

入団契約をしておきながら急に解雇だなんて、信じられませんね。

異国の地で無職になってしまった坪井コーチですが
それでも次の所属チームを探しながらリハビリを続けていくことを決意。
(公式ブログにも載っています)

2013年、エディンバーグ・ロードランナーズへ入団。
しかし、怪我で1か月が経たないうちに解雇されてしまいます。

2014年、ランカスター・バーンストーマーズへの入団が決定。
このチームはかつて巨人、横浜でプレーした仁志敏久選手や、ヤクルト、オリックスでプレーした梶本勇介選手、千葉ロッテに在籍していたサブマリンこと渡辺俊介選手も所属していました。

当初は結果を残していた坪井コーチでしたが
あるプレーがきっかけで登録を抹消されてしまいます。

他の選手にはホームステイ先が与えられているのに
坪井コーチだけは無く、住まいが決まるまでは自費でホテル暮らしを強いられ

チームメイトのホームステイ先に住まわせてもらうものの
球団にばれて追い出されてしまい
日常生活すらままならない状況に陥ります。

同年、坪井コーチは公式ブログにて現役引退を発表。

ついに現役引退を決意

BBM2003 日本ハムファイターズ 現役主力選手 No.FS16 坪井智哉

このリーグが独立リーグの中でもレベルが高く
これより下のチームに行ってもメジャーに上がれる可能性は無い
現在のチームでも使われないのであれば野球を続ける意味は無いと、引退を決意しました。

筆者は、引退の知らせをインターネットのニュースで知り、公式ブログを読みました。
あの時筆者は寂しいとか、残念だとか、そんなことよりも「あぁ、決めたんだなぁ。遂に。」と内心ほっとした心境でした。

毎回怪我して、リリースされてしまって
日本でも大変なのにアメリカで職を失って毎日の生活もままならなくて
それでも野球がしたいという強い気持ちでずっと頑張り続けて、もう身も心もボロボロだろう。

ゴールの見えないマラソンを
ずっとずっと坪井コーチが走り続けているようにしか私は感じられなかったんです。

もちろん、ファンですから応援はしていましたよ。
でも上記の繰り返しになってしまいますけど
メジャーに上がれるかわからない状況で、所属チームも決まってもすぐに解雇になったり、現状がぐらついているのに

見えない、終わりが見えないレースをずっと坪井コーチが続けているようにしか、思えなかったです。
ずっと走り続けていたら、心臓が爆発しますよ。壊れてしまうでしょう。

だから、坪井コーチ自身で引退を決断した時、正直ほっとしました。

もうこれで、終わりのない地獄みたいなマラソンが終わるんだ
ゴールのテープを坪井コーチがちゃんと切ったんだ、って。

ファンが偉そうに語れませんけど
坪井コーチには本当に、本当に心からゆっくり休んでほしい、とだけ思いました。

お疲れ様でした、という言葉すらなんだか軽いじゃないかと思えてしまって
かける言葉が見つからなかったです。

なので、とにかくゆっくり休んで欲しいって、それだけ思いました。

引退発表後しばらくして帰国して
解説で坪井コーチの顔を見たときに

なんだか目頭が熱くなって
込み上げてくるものがありました。

確か、札幌ドームの日本ハム戦だったと思います。

スーツを着て、アナウンサーの横に並んでインカムを付けて
実況解説席に座っている坪井コーチの姿をテレビで見ました

その時に、坪井コーチは現役を引退して、戻ってきたと実感しました。

もう一度、野球がしたい。
不屈の心で渡米し、過酷な環境にありながら、想いを貫いた坪井コーチ。

もし、日本ハムを退団するときにコーチの打診を受けていたら
札幌ドームで引退セレモニーが盛大に行われていたと思います。

坪井コーチはとても人気があったので(今もファンは沢山いますけど!)
きっと引退試合なら札幌ドームはほぼ満員になったでしょう。

花道ではなく、あえて棘の道を選び、そっと一人バットを置いた坪井コーチ。
最後まで(いい意味で)泥臭く、ひたむきに、己に厳しく妥協せず、野球の道を歩み続けました。

大勢のファンに囲まれて引退セレモニーができる事が全てじゃない
と筆者は思います。
もちろんできたら素晴らしいに越したことはありません。

引退発表後、阪神の和田監督、巨人の原監督を始め
多くの監督やかつてのチームメイトから温かいねぎらいの言葉がありました。

こうやって坪井コーチが声をかけてもらえたのもファンが沢山いるのも
ずっと真面目に練習して、野球と真摯に向き合ってきたからだと思います。

野球選手が練習を一生懸命するのは当たり前の事だと思いますけど
当たり前のことを如何なる環境に置かれてもやり通すことは、容易なことではありません。

不屈の男、坪井智哉。

私は彼のファンで本当に良かったと毎日思っています。
今年は、残念ながら横浜スタジアムに行けていないのですが
来年は必ずハマスタに行こうと思っています。

坪井コーチの記事は、次回で最終回です。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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ABOUT ME
あっき(ベイファン)
横浜大洋→ベイ→横浜DeNAベイスターズが大好きな松坂世代!最近はCSに日本シリーズに泣きまくりです( ;∀;) あとは98年以来の優勝が観たい!色々な方と繋がりたいです。よろしくお願いします^^ 自己紹介はこちら