オリックス前回優勝1996年優勝メンバー,スタメンは?!
現在最も優勝から遠ざかっているチーム。
オリックス・バファローズ。
(2014年には逆転優勝へとしびれるような戦いを繰り広げたのですけどね!😂)
最後に優勝を果たしたのは、故:仰木彬監督が率いた1996年。
(時点では横浜DeNAベイスターズの1998年になりますね!)
当時は近鉄バファローズとの合併前になるので『オリックス・ブルーウェーブ』ですね!
1995年阪神淡路大震災が起こった年に、がんばろうKOBEを合言葉に1つになり、劇的な優勝を遂げたオリックスでしたが、
1996年も仰木監督の元、日替わり打線、猫の目打線(規定打席到達者4名、打率10傑はイチローのみ)を組みながら、2位日本ハムに7ゲーム差をつけて2連覇。
さらに日本シリーズでも4勝1敗で読売ジャイアンツを下し、見事に19年ぶり4度目の日本一に輝いたのでした。
さて、その1996年の主なスタメンは一体どのようなものだったのでしょうか?!
懐かしくなってしまい、ちょっと調べてみました!
※再び優勝争いを…!2021年優勝予想オッズ評価はこちら!オリックスは…!?
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1996年:オリックス・ブルーウェーブ,主なスタメン
1番:レフト:田口壮 (27歳) 5年目
128試合 .279(509-142) 7本 44打点 10盗塁
のちにメジャーリーグに挑戦し、カージナルスでは世界一にまでのぼりつめた田口壮選手が切り込み隊長!
元々はショートのポジションだったけれども、外野手転向を果たし大成功。
イチロー選手、のちに入団する谷選手とともに、鉄壁の外野陣を形成しましたよね。
現在はオリックス2軍監督。
2番:セカンド:大島公一 (29歳) 4年目
125試合 .254(397-101) 4本 37打点 8盗塁
2番は165cmの小柄な身体ながら、闘志あふれるプレーでセカンドを守り抜いた、スイッチヒッターの大島公一選手。
1995年オフに近鉄からまさかのトレードでオリックスへ移籍。
96年にはレギュラーとして活躍し見事日本一に貢献しました。
仰木監督が組む猫の目打線の中、規定打席到達した1人。
(他はイチロー選手、田口選手、そしてニール選手。)
3番:センター:イチロー (23歳) 5年目
130試合 .356(542-193) 16本 84打点 35盗塁
世界のイチローもまだこの時、若干23歳。
ただ23歳にしてすでにチームの柱!
首位打者、最多安打、最高出塁率、そしてMVPを獲得!!
前半戦は1番バッターとしてチームを引っ張りました。
4番:DH:トロイ・ニール (31歳) 2年目
124試合 .274(430-118) 32本 111打点
1995年に、メジャーリーグ:アスレチックスで活躍するメジャーリーガーを、契約金&年俸それぞれ1億円という金額で獲得してきた、トロイ・ニール。
際立った長距離砲がいないオリックス打線において、ニールは打線に破壊力を与えました。
32本塁打&111打点はこの年は2冠王に輝く活躍。
5番:ライト:藤井康雄 (34歳) 10年目
109試合 .274(310-85) 20本 61打点
阪急ブレーブス時代を知る、ベテラン長距離砲の藤井康雄選手が5番。
規定打席に到達せずも、3年ぶりの20本塁打を記録し、チームに貢献!
6番:ファースト:D・J (34歳) 10年目
91試合 .220(241-53) 15本 47打点
1995年にオリックスへ入団。
勝負強い打撃でチームを支えた。
7番:ショート:小川博文 (29歳) 8年目
110試合 .288(313-90) 9本 38打点
小柄(173cm)ながら、強いリストを生かした意外性のある長打力を兼ね備える小川選手が7番ショート。
日本シリーズでも貴重なタイムリーを放つなど活躍しました。
2000年オフには、進藤選手ら3選手との電撃トレードで横浜ベイスターズへ移籍。
現在は横浜DeNAの打撃コーチ。
8番:キャッチャー:中嶋聡 (27歳) 10年目
98試合 .222(257-57) 1本 24打点
盗塁阻止率リーグトップに輝くこと3度、当時球界随一とまで言われていた強肩を誇る中嶋選手が8番キャッチャー。
優勝の翌97年オフにメジャーリーグ挑戦のためFAを行使。結局メジャーへの夢は叶わず西武へ移籍することに。
その後、横浜→日本ハムへ。
晩年はコーチ兼任ながら2015年までプレーをし、工藤公康氏と共にNPB一軍実働年数記録29年を保持。
9番:サード:馬場敏史 (31歳) 7年目
111試合 .255(263-67) 6本 27打点
内野守備に定評のある馬場選手が9番サード。
93年オフにダイエーからオリックスに移籍すると、95年にはレギュラーに定着し規定打席に到達、リーグ優勝に貢献。
96年にも111試合に出場し、華麗なプレーを連発しました。
主なサブのメンバー
四條稔 108試合 .261(157-41) 0本 8打点 30歳 8年目 ファースト
本西厚博 103試合 .262(206-54) 1本 19打点 34歳 11年目 サード
福良淳一 92試合 284(289-82) 0本 26打点 36歳 12年目 セカンド
高橋智 85試合 .288(236-68) 9本 30打点 29歳 12年目 レフト
高田誠 72試合 .220(150-33) 3本 14打点 32歳 10年目 キャッチャー
1996年 オリックスブルーウェーブ 主なピッチャー
1996年優勝時のオリックスブルーウェーブ
先発投手で規定投球回数に到達したのは2名(野田、星野)。10勝到達投手も2名(星野、フレーザー)でした。
野田浩司 (28歳 9年目)
27試合 8勝7敗 防御率3.14 7完投2完封
93年最多勝、95年には1試合19奪三振の大記録を持つ野田浩二投手!
96,97年の優勝にも決め球のフォークを武器に貢献。
ただ、この後右ひじの故障に悩まされ、2000年に引退しました。
故障さえなければ、様々な記録を打ち出していたのかも・・・。
星野伸之 (30歳 13年目)
22試合 13勝5敗 防御率3.05 6完投3完封
完投能力が高く、11年連続10勝以上を記録するなど、オリックスのエースとして95年96年の優勝にも大きく貢献!
130km台のストレートと、ブレーキのかかったスローカーブで打者を手玉に取る姿は、観ていて気持ちが良かったですよね。
フレーザー (32歳 1年目)
18試合 10勝2敗 防御率3.07 1完投1完封
他にも先発陣としては、
金田政彦 29試合 6勝8敗 防御率4.23 (27歳 4年目)
長谷川滋利 18試合 4勝6敗 防御率5.34(28歳 6年目)
など。
そして、中継ぎ&抑え陣がこの年のオリックスでは豊富でした。
小林宏 (26歳 4年目)
37試合 8勝7敗 防御率4.08
先発にも12試合登板&2完投と、先発に中継ぎにフル回転した小林宏投手。
95年の日本シリーズでヤクルトの4番オマリーと白熱の対決:14球の末、勝利したのは記憶に残った名場面でしたよね!
野村貴仁 (27歳 6年目)
54試合 4勝1敗5S 防御率2.86
170cmの小柄な身体から切れ味鋭いストレートをバンバン投げ込む姿はカッコよかったです。日本シリーズでもセットアッパーとして活躍。
木田投手とのトレードで巨人移籍後はメジャーリーグにも挑戦しました。
平井正史 (21歳 3年目)
34試合 5勝3敗6S 防御率2.50
高卒2年目の95年にいきなり15勝5敗27セーブという記録を打ち立て、セーブ王&新人王に輝き、ドラフト1位の力を見事に証明した平井投手。
96年は、前年度の疲労のせいか調子が今一つ上がらずクローザーの座を鈴木平投手にゆずるも、シーズン終盤には復調し優勝に貢献!
鈴木平 (26歳 9年目)
55試合 7勝2敗19S 防御率2.43
95年にヤクルトから移籍して来るや一気にその才能を開花させた鈴木平投手。(ヤクルト時代は5年間でわずか5勝。)
96年は平井投手の不調によりクローザーのポジションにつき、オリックスの2連覇に大きく貢献。
球団からも投手NO.1の活躍とまで評価されておりました。
95年にはがんばろうKOBEの元一致団結し、見事リーグ優勝を果たしたオリックスでしたが、
日本シリーズでは野村克也監督率いる、当時絶頂期だったヤクルトに、1勝4敗で敗れてしまいました。
その翌年、96年にも仰木監督の元、リーグV2を達成し、今度は日本シリーズでも読売ジャイアンツ相手に4勝1敗で、見事リベンジを果たしたオリックスブルーウェーブでした。
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