ハマの核弾頭:波留敏夫選手!石井琢との最強1,2番コンビは…
38年ぶりに劇的な優勝を遂げた横浜ベイスターズの
当時不動のセンターを担っていたのが
この波留敏夫選手!
晩年の横浜大洋ホエールズから
横浜ベイスターズ初期にかけて続いた
1番センター争いに終止符を打ったのも
この波留選手でしたね
(宮里太選手!第3のキャッチャーまで…俊足巧打の1番センター)
入団当初は内野手登録だったけれども
俊足と強肩を活かすために外野に転向すると
メキメキと頭角を現した波留選手
ダイブも恐れないガッツあふれるプレーと
佐伯選手と共に明るい性格でチームを引っ張る姿が
大好きでした
現在は中日ドラゴンズのコーチをしているけれど
石井琢朗選手と共に
再び横浜のユニホームを着る日が来てほしいです
スポンサーリンク
石井琢朗選手との1,2番コンビは最強だった…
石井琢朗選手との1,2番コンビは最強でした
(主に1番石井琢、2番波留)
当時監督だった権藤監督が
・ほとんどバントはしない采配
・選手を信頼し、選手に任せる采配だったので
この石井琢選手と波留選手が
一体どんなことをしてくるのか
毎回ワクワクしながら観ていました
たとえアウトになったとしても
タダではアウトにならない感じ
この1,2番コンビに関しては
ほとんど任せっきりだったみたいで
イキイキとプレーしているこのコンビが
大好きでした (*´ω`*)
後ろの3番、4番には
鈴木尚、ローズが控え
・横浜のアベレージヒッター鈴木尚典!首位打者2回、肩が最弱も…
・横浜ベイスターズ最強助っ人ロバートローズ!驚異の成績は…
ほんとこの頃の横浜ベイスターズは
最強だったなぁー
脱税事件に関与し出場停止を食らう
1997年オフに発覚した
プロ野球脱税事件に関与し
1998年開幕から6週間の出場停止処分を受けることに
横浜ベイスターズからは
この波留選手や万永選手が食らっていましたね
(横浜DeNA背番号0 万永貴司→山崎憲晴ラインが…)
(他にも米投手と川崎捕手が処分を受けています)
波留選手が脱税事件&出場停止処分を受けて
横浜ベイスターズは
開幕センターに間に合わない波留選手の補強として
超衝撃的なトレードを行い
近鉄バファローズから中根選手を獲得
(フルスイングが魅力の中根仁選手!トレード当時は…)
このトレードは
ほんと衝撃的でしたね
最優秀防御率賞も獲得したことがある盛田投手と
1軍レギュラーに定着できないでいた中根選手の
1対1のトレード
結果的に中根選手は大活躍し
自分もすっかり中根アニキのファンになってしまいましたが
当初は信じられなかったな…
波留選手は5月中盤にチームに戻ってくると
即スタメン起用!
徐々に調子を取り戻し
1998年、38年ぶりの日本一に貢献しました
ちなみに波留選手の
1998年優勝年の成績は
106試合 .273(428-117) 2本 39打点 12盗塁
キャリアハイは1999年、その後は…
波留選手のキャリアハイの成績を残したのは
翌年の1999年
この年のマシンガン打線は皆が打ちに打ちまくり
チーム打率がなんと.294という
驚異の打線でした
5番駒田選手が.291の成績を残しながらも
チーム打率よりも低いという
不思議な現象も・・・!?
(横浜初のFA獲得選手、駒田徳広!大量解雇事件に…)
波留選手もマシンガン打線に恥じない
130試合 .298(568-169) 15本 70打点 21盗塁
という素晴らしい成績を残します
ただ、この後は低迷
2001年には種田仁&山田博士選手との2対1のトレードで中日に移籍
この頃からドンドンV戦士たちがいなくなってゆく…
波留選手はその後も結果を残すことが出来ず
今度は酒井忠晴選手との1対1のトレードで
千葉ロッテマリーンズへ移籍
結局マリーンズでも
かつての勢いを取り戻すことなく
戦力外通告を受け引退
波留選手が一番輝いていたのは
やっぱり1998年とそれに向けて
石井琢選手や佐伯選手、進藤選手たちと共に
活躍していたころかな
今は佐伯さんやデニキと共に
中日ドラゴンズで指導をしているけれども
また再び横浜に戻ってきて
ハマスタで横浜のユニホームを着ているところを
みたいですね
スポンサーリンク