田中一徳:PL学園から1999年ドラフト1位で横浜ベイスターズ入団も
横浜ベイスターズ
1999年ドラフト1位入団の田中一徳選手
この選手をドラフト1位指名したと知った時
なかなか面白い選手を取ったなぁと思いました
というのも
一昨年前の甲子園で
当時松坂大輔などがいた横浜高校とPL学園との伝説となった一戦で
(cf:1998年甲子園:横浜対PL学園延長17回の死闘!プロ入りした選手は)
2年生ながらPL学園の1番バッターとして
松坂大輔から4安打を放ち活躍していたことが記憶に新しかったので
あの田中一徳が横浜にやってくるのか!
と興奮したのを覚えています
身長165cm,体重67kgと
当時の球界では一番小さい身体
その選手をドラフト1位で取るとは
相当潜在能力が高いのだろうなぁーとも思いました
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将来性の高い高校生を獲得するドラフト戦略
ちなみにこの頃の
横浜ベイスターズのドラフト戦略は
1998年に横浜ベイスターズが優勝し
石井琢朗選手や鈴木尚典選手
佐伯選手,進藤選手,谷繁選手など
(投手陣も斎藤隆投手や三浦投手 etc…)
ちょうど20代後半から30歳になるぐらいの
脂の乗った選手がたくさんいたこともあって
1997年:谷口邦幸投手 (町野高)
1998年:古木克明選手 (豊田大谷高) (松坂大輔の外れ1位)
1999年:田中一徳選手 (PL学園高)
2000年:内川聖一選手 (大分工業高)
2001年:秦祐二投手 (智弁学園高) (寺原隼人の外れ1位) と
将来性豊かな高校生を
立て続けにドラフト1位指名していましたね
そして唯一一流選手までに育った内川選手が
今やソフトバンクの要として活躍しているという…
なんたることでしょうか…笑)!?
俊足&強肩を武器に活躍した田中一徳選手
横浜ベイスターズ入団後
田中一徳選手は1年目から1軍出場を果たし
3年目となった2002年には
112試合 .256(172-44) 1本 8打点 6盗塁 と
主に守備固めや代走要因としてですが
100試合以上出場を果たしています
…ただこの2002年以降は
年々出場機会を減らし
2006年には1度も1軍出場を果たさないまま
そのまま戦力外通告を受けてしまいました
やっぱり否めなかったパワー不足と
俊足の割には盗塁があまり上手くないこと
(通算15盗塁、14盗塁死)
それに横浜ベイスターズ1軍の外野には
金城選手,多村選手,佐伯選手,鈴木尚選手と
そうそうたるメンバーが揃っていましたからね
田中一徳選手も
腰をかがめてかなり小さく構えるバッティングフォームをするなど
色々と試行錯誤していましたが
1軍レギュラーの壁は
破ることが出来ませんでした
アメリカ独立リーグ挑戦!現在は…
横浜ベイスターズから戦力外通告を受け
12球団合同トライアウトに参加も声がかからなかったけれども
それでも野球を続けることを決意した田中一徳選手は
アメリカ独立リーグに挑戦!
2年間アメリカでプレーした後
もう一度その年に
12球団合同トライアウトに参加
…しかしここでもどこからも声がかからなかったため
現役を引退しています
現在は千葉県の名門
拓大紅陵高校のコーチをしているようです
超野球名門高のPL学園
横浜ベイスターズ
そして海外独立リーグと経験豊富な田中一徳さん
指導者としてのこれからの活躍も楽しみですね
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