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守備職人,進藤達哉!マシンガン打線では恐怖の8番打者として
元横浜ベイスターズ
38年ぶりに優勝を遂げた,98年優勝メンバーの1人:進藤達哉選手!
(cf:最強マシンガン打線!1998年横浜ベイスターズ優勝メンバーは)
進藤選手と言えばやっぱり
1997年から3年連続でゴールデングラブ賞受賞の華麗な守備!
この頃の横浜ベイスターズと言えばマシンガン打線と呼ばれるだけあって
打撃陣に目が行きがちですけれども
どこからでもゲッツーが取れるという鉄壁な守備陣にも目が放せませんよね
進藤選手のサードでのグラブさばきに酔いしれた横浜ファンは多かったはず!
そんな98年優勝メンバーだった進藤選手が
今度は横浜DeNAベイスターズのコーチとして
再び優勝に向かって戦っているというのも
感慨深いです (*´ω`*)
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石井琢選手と共に横浜ベイスターズ初期から成長していく…
横浜大洋ホエールズ最終年あたりから頭角を現した進藤選手
ちょうどこの頃同じように
石井琢朗選手も頭角を現しました
(1年違いのお互い高卒ドラフト外入団)
彼ら石井琢&進藤選手の若手陣が成長していくとともに
横浜ベイスターズが98年の優勝に向けて
ドンドン成長して行った感じがします
98年優勝時には
彼ら20代後半組が中心となって
ガンガンチームを引っ張って行ってくれましたものね
そういった意味では
彼らを鍛えまくった近藤昭仁監督の功績…なのかなぁ?
この監督さんは、全く好きになれませんでしたけど…
(cf:近藤昭仁(元横浜ベイスターズ&ロッテ監督) 功績,成績は!?)
元々はショート,内野大コンバートでサードの守備に
サードで3度ゴールデングラブ賞を獲得した進藤選手ですが
元々はショートの守備位置を守っていました
それが1996年の大矢監督のコンバート案で
最終的にサードに行くことになるのですが
このコンバート案が凄かった!
・サードの石井琢朗選手がショートに
・ショートの進藤選手がセカンドに
・セカンドのロースがサードに
石井琢朗選手はその年までに
サードで3度ゴールデングラブ賞を受賞していただけに
一体この大型コンバートはどうなってしまうのかと
反対意見もたくさんでていました…
でも結局これが大成功!
石井琢朗選手はその守備範囲の高さと
元ピッチャーだったという強肩を活かし
球界を代表するショートストップへと成長しました
進藤選手はセカンド逆スローができず
ローズ選手はサードでエラーを連発したので
ローズ選手がセカンド,進藤選手がサードで落ち着きましたが
石井琢朗選手がショートにハマったのが
このコンバートの一番の成功だったのではないでしょうか
恐怖の8番バッター!リストを効かせた打撃で
進藤選手と言えばもう一つが意外性の打撃・パンチ力!
リストを利かせたバッティングで
年間2桁ホームランを6度記録し
生涯成績も104本のホームランを記録しています
自分の思い出としては
巨人戦によくホームランを打ってくれたなぁーと
印象に残っています (*´ω`*)
レフトスタンドにパカーンとね♪
リーグ優勝を決めた試合
甲子園戦での決勝タイムリーも
この進藤選手のライト前ヒットでしたよね!
打ちだしたら止まらない進藤選手
こんなバッターが8番に居るのだから
(たまに谷繁選手と入れ替わりで7番にも)
相手ピッチャーはたまらないですよね!
ちなみに応援歌は
「スイング軽く、バットも軽く、一振りすればもう、スタンド入りだ」
でした♪
ゆるやかーーーな感じの応援歌でしたよね 笑)
小川博文選手らとの電撃トレードでオリックスへ…
このトレードは当時かなり衝撃的でした!
進藤達哉・戸叶尚・新井潔⇔小川博文・杉本友・前田和之の
3対3の大型トレード!
進藤選手は移籍先のオリックスで
あの伝説の盗塁王:福本豊さん以来の背番号『7』を受け
かなり期待されていました
当時横浜にやってきた森監督が
小川選手を高く買っていたとはいえ
進藤選手を放出するとは本当にビックリ!
オリックスファンとしても
長年チームで活躍した小川選手の放出で
驚いたのではないでしょうか…
結局進藤選手は
オリックスに移籍した後3年間プレーをし
2003年に現役引退
引退後は横浜ベイスターズコーチやスカウトを務めた後
BCリーグの富山サンダーバースの監督を2年間
そして2014年からは横浜DeNAのコーチとして活躍中です!
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